田舎暮らし日記

中国【1】


中国 【1】 



旅の写真もとうとう最後の国となってしまいました。
最後の旅は中国、三峡下りです。
7年ぐらい前かなあ・・・NHKの衛星放送でずいぶんこの三峡ダムのテレビをやっていたのを覚えてる方もいるかと思います。

実は私はそんなことは全然知らなかったのですが、旅行友達からこの三峡下りの旅に誘われました。
詳しく聞いてみると三峡ダムが出来上がってしまったら、この長江の周りの素晴らしい景観が観れなくなると言うじゃありませんか。
「もう観れなくなる」と言う言葉に弱い私は、それはさっそく行かなければ・・・と即座にその旅行を決めたのでした。

その頃、秋だったのですが、その旅行はすごく人気でした。
何日までに行かなければ、どこそこの水位が上がってしまうとか・・・そう言う日にちが迫ってたんだと記憶してますが、ツアーはいっぱい。
私達は四人で申し込んだのですが、希望の日程で行けたのは二人のみ。
残りの二人は翌月のツアーに参加したほどです。

ここで今回日記に書くためにちょっと調べてみたら、三峡ダムが完成するのは2009年。
それまで長江の水位は少しずつ上がり、最終的に170メートルぐらいだったかな?が水位が上がってしまうため、その美しい景観が完全に川の中に沈んでしまうそうです。
あの頃、ずいぶん騒がれた景観は今はどうなっているのでしょうか?
すみません、これ以上の詳しいことは分からないのですが・・・。

この写真は長江の三峡下りの出発点、重慶の街並みです。
中国って・・・しかも重慶は奥地だし、すごい田舎って思っていたらこんな高層ビルが立ち並ぶ大きな街でした。


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これは重慶の長江大橋、下を流れるのはもちろん長江。
長江の水は茶色いのです。
そうそう、行く前に聞いたのですが、この長江には川イルカとかがいるとか?
でもいたって、こんな水の色じゃ中はまったく見えませんよね。


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長江川下りの船はこんな船。
川を下っていたたくさんの船の中でこのドラゴンの船がいちばん目立ってました。
いかにも中国らしい?船です。
私もこれに乗りたかったなあ・・・。


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さて私の乗った船はこのカッコいいドラゴンの船とは違うのですが、同じぐらいな大きさの設備は何不自由ない船でした。
船に乗ってるお客さんは150人ぐらい、満室です。
しかも全員が日本人。
日本のツアーからしてもういっぱいの状態だったので、ある程度予想はしてましたがすごい人。
まるで日本にいるみたい・・・びっくりでした。

でそのゲスト150人を乗せる船の設備もすごい。
お部屋はツインルームでもちろんバストイレ付き、お茶を飲むポットも備え付けてありました。
この150人のゲストに対して従業員は確か200人ぐらい、船の上側の船室はゲスト用になっていて、下側が多分スタッフルーム。
だから全員で350人ぐらいの人が乗ってる巨大な船なのです。
4~5階建てぐらいだったかなあ?
レストランが確か4階でした。

そんな大きな船に乗って長江を下りながらあちこちに停泊、観光しながら川を下ります。
私は船に弱いのですが(この時はまだダイビングのクルーズ船も未体験)、川ならそんなに揺れないし大丈夫だろう・・・と思いこの船に乗ったのですが、予想外に船はけっこう揺れたんですよ。
長江の川の流れはかなり速いところもあるし、波立ってる風に見える場所もありました。
揺れがひどいと、お部屋のクローゼットの壊れかかったドアがバッタンバッタンと音をたてて、開いたり閉まったりする程です。

船から下船して観光した鬼城。
ここには名前の通り、鬼が祭られている。
ここは山の上にあるのだが、ダムが出来たらその山は無くなりこの鬼城まで水が来てしまうらしい。


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この写真を見て気付いたんだけど、中国語って横書きだと
右から書くみたいですね。知りませんでした。


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今日は初めて行った中国の印象を少し。
あっ、でも中国は広いしこれは私の見たほんの一部の出来事かも知れないので、その辺は了承して読んで下さいね。

この旅行に行ったのは確か1997年頃だったと思うんだけど、その頃はまだ中国と言えば観光客の受け入れが始まって何十年も経っていない(ハッキリした年数は分かりません)。
だから中国人は暗いって言うイメージを聞いてはいたけど、それは昔の日本人と一緒で外国人を見ると物珍しげに眺めるものの明るくは迎え入れられない。
私にはそんなイメージに思えた。
あれからもう7~8年、中国はどんどん変わってると思う。
今はもうそんな印象は受けないのかも知れない。

あと上海とかでは見かけなかったけど、奥地ではまだ人民服(知らないかな?)を着てる人たちも見かけた。
昔の中国はみんな人民服を着ていたんですよね?
中でも面白かったのは子供のはいてるパンツ。
股の部分がパックリと割れていた。
そのまま用を足せるように開いているらしい。
日本でも昔はそうだったんだっけ?
いくら便利とは言っても奥地の子供達、開いてるところから風が入って寒くないのかなあ・・・。

でも街で働く女性たちはなかなかおしゃれをしている人も多い。
そうそう、そんな中で気付いた「へぇ~!」って言うこと。
一つはその女性たちは会社勤めをしていて、昼になったら一人用の小さな鍋を持って外に食事に出かける。
でその近所の屋台で昼ご飯を買うようだ。
どこで食べてたか?までは覚えていないけど、昼休みになると鍋を手に持った女性が街中を歩いているので、なんとなく目立ってしまった。

もう一つはそう言う女性が必ず持ち歩いているもの、それは芯を抜いてつぶしたトイレットペーパー。
これは私がトイレに行った時気付いた。
もちろん中国のトイレ事情はまだまだひどいところも多く、これはまた後にレポートしますが・・・でも上海辺りの普通のトイレがあるところでさえ、トイレットペーパーはその頃は必需品であった。
もちろん理由はトイレにはペーパーが付いていないから・・・もちろん私も同じ様に持っていた。
まあこれはそう驚くような話ではないのだが、きれいにオシャレした女性のハンドバックから、じかにトイレットペーパーが出て来るのを見ると、やっぱりここは中国なんだなあって思ってしまった私なのであった。

次は白帝城、ここはかなり山の上にある。
中国の観光地はエレベーターなんてものはないので、その高い観光地に上がるにはもちろん階段。
ここまでは、下から約800段の階段があるそうだ。


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そこでこの階段を上ってくれるのがこの下の乗り物、籠屋さん。
籠は前と後の棒を二人の人がかつぎ、真ん中に人が乗る。
私はその頃太っていて、階段を上るのはかなり大変?・・・と言うことで乗ってみた。
しかし、この乗り物ほど乗り心地の悪いものはない。
階段を上がっていると、その座席がゆっさゆっさ揺れるのだ。
その揺れ方がすごい。
降りた時にはすっかり酔ってしまい気持ち悪くなってしまった。
他にも降りた途端、吐いちゃう人もいたぐらい。
いろんな国でいろんな乗り物にも乗ったけど、やっぱこの籠が最悪。
階段だからよけいその揺れが気持ち悪いんだとは思うんだけど・・・。
でもまあ面白い経験になりました。

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さて白帝城を越えて川を下って行くと、ここからが三峡下りの名前の由来になっている峡谷が三つ連なっている。
瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)である。
ここがこの三峡下りのメイン。
景色もいちばん素晴らしいとされているところ。

ここでは船から素晴らしい景色の写真を撮りたいってはりきっていたのに、なぜか実にまともな写真が撮れなかった(涙)。
言い訳になるのですが、ここは川幅がかなり狭くなったりの場所も多く、船の速度もかなり速い。
本当にあれよあれよと言う間に周りの景色が変わっていったのです。

あとね、どの写真見ても薄ボンヤリ・・・(涙)。
でもなぜか中国の三峡下りの写真って他の人のを見ても空が鈍よりと霞みがかかったみたいに見える。
青空くっきりの写真はあまり見ていない様な・・・。

これは白帝城の山の上から見た長江。


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走ってる船から撮った写真、瞿塘峡かな。


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川の横の岩はこんな感じ。
岩に峡谷の名前が書いてあるんだけど、なんて読むのか分からない。


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夕焼けの巫峡。


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沙市での景色


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ここの沙市で荊州博物館と言うところを見学した。
ここにはミイラ・・・いえ、ミイラとは乾燥させて残っているものだから、ここのはミイラとは言わないなあ。
それはまさに遺体、2000年も保存されてる遺体と言った方が適切な表現のようだ。
それを見学した。

世にもキモいリアルな遺体だった。
何であんな状態で保存してあるのかちょっと理解に苦しむ。
その遺体は男性のもので裸のままホルマリンづけみたくなっている。
以前この旅行記でも紹介したパレルモのミイラとはまったく違う感じ、とにかく生々しく気持ちが悪い。
あまりじっくりとは見る気がしなかったし、もちろん写真には撮っていない。
ちなみにこのページに写真が載っていたので、興味がある人は見てみてね。

長江も三峡を下り終わると、川幅もこんなに広くなってくる。
でも東シナ海まではまだまだ遠い。
もっともっと川は広く大きくなるのかなあ?
ちょっと見難い写真ですみません、相変わらずの薄ボンヤリです(涙)。


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工事中の三峡ダムを通り過ぎると、葛洲堰ダムと言うのがあります。
ここのダムを巨大な船に乗ったまま下って行くんだけど、どうやって?
私には初体験、びっくり!・・・こんな風にして大きな船もダムを通り抜けるんですね。

写真がないので説明だけなのですが、先ず船がダムの上側である川上側から前のゲートのところまで進みます。
そこで船の後ろ側のゲートが閉まります。
要は船の前と後ろ側にゲートがあり、船はその間に浮かんでいる状態。
この時の船の高さを水位とし、その状態から船の浮いている水面のところから20メートル分の水を前側から放出します。
そうすると水位がどんどん下がって、それと同時に船も20メートル下がります。
そこで前側のゲートが開いて、上の高さから20メートル下がったダムの下側の水位と同じ高さになります。
こうして船はダムの下側の高さと同じ水面に浮き、また前側に向かって川を下って行ける訳です。

確かこんなだったと思うのですが、絶対の自信はありません。
ちょっとばかり間違えているかも?
でもなんとなく解りました~?
こんな説明で・・・。
最初、船がダムを通り抜けるってどうなるの~?って思ってましたが、実際に乗ってみて初めて解りました。
へぇ~って感じでなかなか面白い体験だったです。

三国志でお馴染み?赤壁。
岩に赤い時で赤壁と書いてあるのが見えるでしょうか?
実は私は歴史はまったくの苦手で、この字を「せきへき」って読むのさえ知らなかったぐらい。
この字は海側からしか写真が撮れないので、今一つ正面からは写せなかったんですよね。


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ここは赤壁大戦陳列館だそうです。
側にはなぜか小さな牧場もあり、のどかなところ。


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三峡下りの終着点は武漢と言う街です。
ここは船を下り観光した黄鶴楼。
白帝城の屋根と言い、中国ってこんな感じに屋根がクルッと上側に反ってる屋根が多いみたいだ。

おおっ、なんて丸々とした私がいる。
この頃が私の生涯でいちばん太っていた時期でした。
この後しばらくしてダイエットに成功。
今はまったくの別人?・・・と信じている私です(笑)。


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さて、今日は中国で食べた中華料理のことを少し・・・。
私の今回の旅行は船旅がメインの旅だったので、食事は船のレストランが多く他の食事もほとんどツアーに付いていました。
だから当然お料理も日本人ツアー向け。
今一つ美味しいものにはありつけなかったように思います。

三峡下りの出発点重慶、ここは火鍋のメッカらしくバスから見える路上の食堂のテーブルの上には、どこを見ても火鍋のお鍋がのってました。
すごく食べたいな~、と思いながらそこはバスで通り過ぎただけ。
本場で火鍋を食べれないのはとっても残念でした。

あと中国と言えば麺類?
これもなかなかメニューとして食べたい麺類が出て来ないので、外での付いてる食事の際、自分で注文して食べてみました。
でも実はあんまり美味しくなかった。
麺がなんかこう粉っぽい。
その後麺類もたまには出てきましたが、どうも今一つ。

じゃあ美味しかったのは何?って聞かれると、う~ん、何だっただろう?・・・今一つ思い出せません。
この後に行く上海で食べた上海ガニかなあ・・・。
でも上海ガニは行った時の運と季節もあるのでしょう、これも今一つ小さく・・・まあ私はカニはそんなに好きではないのでこんなものかと。

全般的には中華料理はやっぱり香港の方が美味しいと、これは私の出した結論です。
麺類も奥地のものはどうも粉っぽいし、四川料理も香港で食べた四川料理の方が美味しかった、点心とかも然りです。。
香港は私の今までで行った国の中でいちばん美味しい国。
タイ料理も捨て難いですが、やはり総合点を争えば香港に軍配があがります。
火鍋だけはとっても美味しそうだったのになあ。
今度中国に行ったら、いろんなお店を食べ歩いてみたいものです。

中国の旅最後の街は上海。
ここは市内観光した玉仏寺。
別に古いとかそう言うのではなく、普通の街中にあるお寺である。


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なんとも派手な仏像たち


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ここは上海の著名な観光地、豫園です。
豫園は広い庭園で、その中には竜が上に乗ってる塀がありました。


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上海では船を下りて初めてのフリータイムもあり、中国で初めて個人で外出したりもした。
そこで中国での言葉事情。
この国ではまったくと言っていいほど英語も通じない。
まあ私は英語が喋れる訳じゃないんだけど、その簡単な片言英語でさえ通じない。
簡単な単語さえも分かってもらえないので、何か聞く時は漢字による筆談がいちばん便利でした。

例えばトイレはどこ?って場合、「何処便所?」とかなんとか・・・そう言う言葉を書くと大抵は通じるようだ。
漢字が解る国はまだ助かりますね。
でもタクシーの運転手さんで英語をまったく理解しない国って言うのは、これまで行った国ではなかったかも。
今ではそう言うことも少しずつ変わっているかも知れませんね。

中国の写真も残り少なくなって来ました。
今日のは上海の街の様子です。
まるで東京みたい、上海は本当に都会なのです。


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この真ん中のはテレビ塔なのですが
この写真も神戸のハーバーランドみたいです。


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上海の街での思い出は、ハーゲンダッツに行ったこと。
上海はすごく都会なのですが、その頃は喫茶店とかカフェとか休むところが無いんです。
で多分ガイドブックで見たんだと思うんですが、ハーゲンダッツのカフェがあるって・・・さっそく行ってみました。

そこではアイスクリームデザートが確か日本円で600~800円ぐらいだったような・・・はっきりとは覚えてません。
もちろんその値段は中国ではとても高いと思います。
でもそのお店は中国の人でいっぱいでした。
その高いアイスクリームのデザートを食べにそのお店に行く。
多分そのことが上海のハイソな人たちの間では、ステイタスみたいな感じではなかったのかと思います。
ほら、昔の日本で銀座のどこだっけ?・・・その喫茶店でお茶することがステイタスだったように。

ハーゲンダッツのアイスクリームデザートは日本のとはちょっと違い、なんとも説明が難しいのですが、レストランみたいな感じに大きなお皿にちょっぴり少しずつで上品な感じ。
美味しかったのは覚えてます。
食べ物の話の後でなんなんですが・・・ちなみにハーゲンダッツのカフェのトイレには、ちゃ~んとトイレットペーパー付いてました。
これだけはしっかり覚えてます(笑)。

中国の旅の写真も今日で終わりです。
最後は上海の街の夜景、日本とちょっと違う雰囲気で素敵ですね。


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